1994年、ユネスコの世界遺産に登録された清水寺の開創は1200余年前、奈良時代末の778(宝亀9)年だといいますからかなりの歴史を誇っています。その後坂ノ上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が寺院の基礎的な構造を整えて現在に至っているそうです。秋には眼下一面、紅葉に彩られる本堂の周辺の紅葉はほとんど色づいていませんでした。今年のこの付近の紅葉はかなり遅いのか、色づかないままで終わるのか、いずれにしてもこれでは夜間のライトアップも映えないでしょう。そのために、あえて本堂の写真ではなく経堂、三重塔の写真を使いました。なお、朱塗りの西門は塗り替えられたばかりのようで色あざやかな感じでした。 紅葉の色付きがさっぱりなのにもかかわらず、観光客の多さは郡を抜いています。特に修学旅行生や、ツアーでの団体客、中国系の観光客等々、やはり京都では指折りの観光名所なのでしょうね。 |
車イス情報タクシーで茶わん坂を上り詰めたところにゲートがあって、インターホンで事務所に連絡すると柵をはずして進入できます。その後清水の舞台近くまで車で上り一旦下車した後、タクシーは駐車場まで降りました。自力のみでの訪問はやや難しいです。車で上らない場合は急坂です。身障者用トイレは舞台入り口の左下にありますが未使用未確認です。舞台は一部の段差、階段で行けない部分もありますが大部分の清水寺は鑑賞できます。もっと坂を下れば音羽の滝方向から舞台下の構造を眺め上げることが出来ます。 |
|
世界宗教として発展した仏教の教えである密教が、弘法大師により日本に伝えられ真言宗が開かれたのだそうです。なかでも真言宗智山派の総本山智積院は東山随一の庭といわれる「名勝庭園」があることでも有名で、境内は広く木々も多く見られます。なお、長谷川等伯一門によって描かれた障壁画を納める「収蔵庫」があり国宝に指定されています。場所も東大路通りに面し、京都駅からでも徒歩で行ける距離です。右の写真は食事所一休庵前の駐車場から撮ったもので、ここの左手から境内、御殿の方へ行くことになります。ここでも紅葉の色付きは遅く、銀杏の葉でさえまだ緑を残している有様です。できれば、「名勝庭園」と言われたお庭を拝見したかったのですが・・・ |
車イス情報身障者用トイレは見かけませんでした。境内は車イスでの移動に支障はなさそうでしたが、拝観受付所(途中に溝が横切っている)で聞いてみたところ、御殿の庭園は段があり車イスままでは無理だということで拝観をあきらめました。その代わりに入った食事所一休庵は平坦で美味しい蕎麦を食べられました。 |
|
門首の隠居所及び、避難所として用いられた東本願寺の別邸で、平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原苑池の遺跡と伝えられているそうです。その後、寛永18年(1641)徳川家光によってその遺跡の一部を含む現在の地が寄進されました。なお、昭和11年には国の名勝に指定されました。
渉成園の別名の枳穀(キコク)邸の由来は枳穀(カラタチ)の木だそうです。それを生垣に用いたことからそう呼ばれるようになったそうです。観光客が多い京都の中でもとりわけ静かなたたずまいで、書院式回遊庭園での造りが寺院庭園と趣を異にし、「渉成園十三景」と称される樹石、池泉、建築の配置が妙が実にすばらしい庭園です。紅葉がやや遅れていたのと、付近の高層マンションが景観を妨げていたのが残念でした。桜の季節にぜひまた来てみたいものです。 |
車イス情報身障者用トイレは駐車場の一角にあります。園内は平坦ですが一部に石が露出していたり、階段がある道があったりと障害物がありますが多少のことは観光客の人達に一声掛けることで解決しそうです。 |
|
東山三十六峰の一峰で月輪山の麓に弘法大師空海が法輪寺という小寺を建てたものを健保6年(1218)宋より帰朝した月輪大師が台・密・禅・浄の四宗兼学の道場として興したのが始まりと言われています。その時、寺地の一角より清泉が湧き出したので、「泉涌寺」と改名されたとのことです。この泉は今も枯れることなく涌き続けています。古くから皇室の帰依があつく、皇室の菩提寺として有名で「みてら」とも呼ばれています。境内の月輪陵後月輪陵には、後水尾天皇以降14代にわたる天皇陵を含めて、25陵もの陵墓が鎮まっています。また、天智天皇以降の歴代皇族の御尊牌を祀る霊明殿などの伽藍もあり、紅葉の時期などに美しい景観を見せてくれます。 ちょうど菊花展をやっていましたがすでに枯れ果てていました。展示していること自体がかわいそうな菊の姿です。 |
車イス情報身障者用トイレは見当たりませんでした。今熊観音入り口の横から入ったのですが砂利道がかなりあります。御殿入り口は階段で入れず、月輪陵の方へ行ったのですがそこも庭園には入れませんでした。 |
|
本堂の内陣の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれていますが、正式には蓮華王院という名の天台宗の寺院で国宝です。もともとは鳥辺山麓の後白河上皇の院政庁「法住寺殿」の広大な敷地の一角にあり、長寛2年(1164)後白河上皇が平清盛に命じて造らせたものです。周囲には五重の搭や不動堂などを従えて偉容を誇っていましたが、
度重なる震災ですべてを損失、現在残っている本堂は文永3年(1266)に再建されたものです。長いお堂は和様の入母屋・本瓦葺の「総檜造り」で約120メートルあります。堂内の見どころは、長大な堂内をびっしりと埋め尽くすようにして立つ1001体もの観音像が祭られていて、その一体ごとの違うお顔がなんとも見ごたえがあり時間をいつしか忘れそうになります。同時に、観音像の前列と中尊の四方に位置する28体の国宝の仏像は千手観音とその信者を守るという神々でインド、ヒンズー教起源のものが多いために一種独特の雰囲気で圧倒します。 |
車イス情報駐車場と入り口付近に身障者用トイレがあります。「国宝三十三間堂」に入るには車イスを備え付けのものに乗り換えるか、私のように立てないものは車イスのタイヤをふきあげてもらって中に入ります。玄関付近に多少の坂があるほかは内部は平坦で移動しやすいです。 |
|
ガイドをしてくれたタクシーの運転手さんが言うには、あの「阪神大震災」の時でもこの東寺はびくともしなかったそうです。昔の人の木造技術はたいしたもんです。それにこの東寺は遠くから目に付くためにろうそくに似せた京都タワーともども、京都以外から帰ってきた時の目印になるとともに、帰ってきた実感をしみじみと感じさせるそうです。いわば京都人の心の灯台の役割を果たしているということでしょうか・・・毎月21日には縁日が開かれますので大勢の人で賑わい駐車するのにも困るような状態になるそうです。続いての解説では、年末の全国都道府県対抗高校駅伝、年初の都道府県対抗女子駅伝ではこの東寺と同じ高さの高低を走るそうです。そんなに言われても実感が全く沸きませんが・・・ちなみにこの塔の高さは55メートルで江戸時代(1644年、寛永21年)の建造です。そうそう、ここの通りすがりに「梅小路蒸気機関車館」の入り口風景を運転手さんの案内でちょっぴり眺めました。 |
車イス情報身障者用トイレは見かけませんでした。車イス利用者用駐車スペースはあります。金堂、講堂は中には入って行けませんでした。金網を張った外から内部を眺めただけです。お寺の人に聞いても、鑑賞は出来ないというそっけない返事です。もちろん、五重の塔の中に入っていけるはずもありません。階段がしっかりあるのですから・・・その代わり園内は散策自由で、いろんな景観を楽しめます。 |
|